発信することと、それを受け取る側のこと
私の高校時代の同級生は、今現在活躍している人が多い。
親の会社を継いだ子。
海外で結婚して暮らす子。
独立して流行を生み出している子。
テレビに出演している子。
エネルギーに満ちあふれている子が多い。
そして、そのエネルギーをFacebookなどで共有してくれる。
SNS上でエネルギーの連鎖を起こし、みんなが繋がっている。
そういう時代だ。
正直自分は苦しい。
そういった連鎖のカタチをよく見るが、
それを綺麗に受け取れる人もいれば、そうでない人もいる。
私は上手に受け取れない人間である。
来年1月から、独立に向けた動きをかけようと思っている。
私は、SNSでむやみにアップしたいと思えない。
SNSにアップする行為は、個人の自由である。
そして、それを見る側の捉え方も自由である。
SNSの使い方、受け取り方、影響力、無力…
多様化するネット社会。
知り合いが知り合いを呼び、繋がっていく。
SNSはその早さを加速させていき…
個人のムーブメントが、可視化し広がっていく。
私は、「大切にできる人の容量」というものがあると思っている。
そして、自分自身、その容量が小さいと感じている。
それは良い事でも悪い事でもなく、そういう人間なのである。
容量の大きさ×自身のムーブメントを起こした際の影響力は、
比例して大きくなる。
そこを考えた場合、
自分がムーブメントを起こした際の結果は、みるも明らかである。
私は、まだその事実を受け入れるだけの人間性を持っていない。
なので、SNSの内容を上手に受け取れない。
なにもそれがすべてではない。
そうでないことを証明したい。